雪国・十日町から ちからのブログ

豪雪地に暮らす思いとその自然について綴ります

豪雪part2

 また大雪になりました。
 一昨日の夜から降り始めた雪が、昨日、今日と降り続いています。

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 3階の私の部屋から撮った写真です。

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 道路に立つと、雪の壁で近くの家も見えません。

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 昨日からは降雪で、BSが見えなくなりました。BSテレ東で放送されている韓国ドラマ「たった一人の私の味方」を毎日楽しみにしていたのに、見ることができません。今日の放送が最終回です。最後の2回を見られないとは、残念です。

 我が家が落雪式の屋根だということは、これまでのブログに書きました。また屋根から落ちた雪で、2階の窓が雪で埋まってしまいました。この冬はこれまでに4回も屋根から落ちた雪をどけて、2階の窓を掘り出しています。雪が止んだら5回目をしなければなりません。もう本当にうんざりです。
 しかし、思い出してみると私の小さい頃には、落雪式屋根の3階建ての家などありませんでした。私の家も2階建てでしたから、屋根の雪を下ろすと1階は雪に埋まって、暗いのは当たり前でした。今の時代が快適になりすぎているのかもしれません。

 私は朝6時半頃から、雪掻きを始めます。

 雪を掻く薄墨色の闇の中     (新潟市 若山知美)

 これまでは薄墨色の闇の中で、雪掻きをやっていましたが、今朝の雪掻きのときは、(もちろん陽射しはありませんが)だいぶ明るくなっていました。新聞で確かめると、今朝の日の出は、ちょうど6時30分です。毎日1分くらいずつ日の出が早くなっているようです。いくら大雪でも一歩一歩、春に向かっていると、雪掻きをしながら感じることができました。

 歳重ね春待つ思い強まりぬ陽射し浴びたし山歩きたし   (ちから)

 春されば土筆は芽吹き草萌ゆるしずみし我も勇み立ちなん (ちから)

 

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 歴代最年少で権威のあるドイッチャー記念賞を受賞した斉藤幸平氏の『人新世の「資本論」』(集英社新書)を読んでいます。「人新世」という言葉をこの本で初めて知りました。(私は大学は経済学部でしたので『資本論』を買いそろえていました。しかし本のあまりの分厚さ(長篇)に怖気づいて、ほとんど読みませんでした。今でもその本は、不勉強の証として手元にあります。)斉藤氏がこの本で訴えている「利潤最大化と経済成長を無限に追い求める資本主義では、地球環境は守れない。人間も自然も、どちらも資本主義は収奪の対象にしてしまう」という考えは、正しいと思います。格差が拡大して環境もどんどん悪くなっている、資本主義では問題を解決できない、事態を悪化させるばかりだ、そう考えている人は多いのではないでしょうか。アメリカでバーニー・サンダース民主党予備選挙に立候補して一定の支持を得ていることや、資本主義の世界で頂点に立ち、資本主義の恩恵を一番受けているアメリカでトランプのような政策をとる人が大統領になり得たということが、資本主義の危機的状況を端的に表していると思います。トランプはパリ協定から離脱するなど、斉藤氏の考えとは真逆の政策をとりましたが、それはまたグローバル・サウスを追い求め、収奪して利益を上げてきたアメリカが、自国の内においてもグローバル・サウスを作りだし、人々を収奪し、危機的な状況にあることの裏返しです。我が国(日本)における格差拡大も、結局はグローバル・サウスを国内に作りだしていることにほかなりません。それが不測の事態・コロナ禍で顕在化しています。そう思うものの、使用価値経済への転換生産過程の民主化など、実現はとても困難だと感じます。「今やろうと思っていたのになぁ」と手遅れになる前に、新しい社会を作っていかなければならないと思います。私も何かできることがあればと思うのですが。(この考え自体が人任せのようです。)しかし「3.5%」の一人ならなれそうです。(「3.5%」の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わるという、政治学者エリカ・チェノウェスらの研究。)
 先日、サイエンス ゼロという番組で、神戸大学の木村建次郎氏が世界で初めて波動散乱の逆問題を解いた知りました。様々な機材への応用が期待できそうです。斉藤氏や木村氏のように優秀な人が出てくるのは、実に頼もしいことです。彼らのような若い人に大いに活躍してほしいものです。

豪雪

 木曜日(7日)の夜から降り出した雪は、昨夜まで続き、十日町では3mの積雪になりました。我が家は落雪式の屋根で、雪は全て家の裏に落ちるようになっています。その屋根から落ちた雪がとうとう3階の窓まで届きました。

 下の写真は、3階の窓から撮ったものです。

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 次の写真は、家の横の方から撮ったものです。

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 家の前は雪の壁になって、空しか見えません。

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 この家に住むようになって30年ほどになります。このくらいの積雪の年は何度かありました。しかし、これほど急激に降ったことはなかったので、雪の山を崩す機会があり、3階の窓まで雪が届くことはありませんでした。こんなことは初めてです。

 早朝、昼、夕と日に3回の雪出し(雪かき)は大変です。昨日は風呂の換気口とボイラーの排気口が埋まるのではないかと心配でした。今日は午前中は時々陽が射す程度でしたが、午後になると晴天になりました。午前中にボイラーの排気口のあたりの雪を少し片付け、午後には家の裏の雪山を崩して、2階の雪に埋まった窓を掘り出しました。これで一安心です。

 朝昼夕日に三回の雪かきは妻有男子のエクササイズ  (ちから)
  妻有【つまり:十日町地方を指す言葉】

 生き地獄「い」を「ゆ」に替えれば雪地獄      (ちから)

 もう雪はうんざりです。

初陽射し

 昨日10時40分頃に、今年になって初の陽射しがありました。それまでは雲の向こうに白い太陽の形が見えるることはあっても、太陽の光は届きませんでした。
 今日は午前中は晴れたり曇ったりでしたが、午後になって今年初めて気持ちのいい晴天になりました。

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 昨年の日記を調べてみると、最少積雪の記録を残した昨年でも、初の陽射しが届いたのは1月4日の午後だったようです。日記に「午後になって今年初めてと言ってもいい陽射しが届いた」と書いてあります。

 昨年は元旦から4日の午前までは、雪ではなく雨でした。今年は12月30日の午後から1月3日の午後まで雪でした。その後もずっと雪になったり、雨になったり、曇ったりでした。雪国なので、とても元日から陽射しは望めません。

 この冬は12月14日の初雪から、21日まで雪が降り続き、12月としては大雪になりました。さらに書いたように12月30日から3日まで雪が降り続き、積雪は増えました。落雪式の屋根や融雪式の屋根でない家は、昨年中に2回、今年になって1回雪下ろしをした家が多いようです。我が家は落雪式の屋根なので、雪下ろしをする必要はありません。しかし屋根の雪は全て家の裏に落ちるようになっているので、その雪が2階の窓まできてしまいました。

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 これでも、昨年中にすでに1回崩しているのですが、現在は写真のような状況です。家の裏の2階の窓には板がはめられるようになっています。新築した時には板をはめられるようになっていませんでしたが、一冬過ごして絶対に必要だと思い取り付けてもらったものです。雪の降らないところに暮らす人には、想像できないことでしょう。

 雪が多く降る日には、1日に3回は雪出しをします。今年一番朝雪が多かったのは2日の朝で、50cm以上の積雪がありました。50cmもあるのを見ると、雪出しの前には、ああとため息が出ます。
 皆が大変ですが、中でも大変なのは新聞配達の方でしょう。道が除雪される前に配達ですから、50cmも積もる雪をこざいて(掻き分けて行く)配達しなければなりません。

 雪国を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

 また明日から大雪の予報です。どうなるか心配です。


 ところで、安倍前首相が「桜を見る会」前日の夕食会の明細書と領収書が「事務所にはない」と回答したという、ニュースが入ってきました。事務所に無いなら再発行してもらえばそれで済むことです。なぜそうしないのでしょうか。
 安倍氏は国会で「私がうそをついているというのであれば、うそをついているということを説明するのはそちら側ではないのか」と言いましたが、これはデタラメナ論理です。多くの人が不自然だと思うことが、本当であるというのなら、本当であることの証拠を示して、説明をしなければならないのは、疑われている側です。安倍氏は証拠を示すことをせず、嘘をつきとおしましたが、結局嘘がばれてしまいました。一つの不自然なことが嘘だと分かった以上、森友、加計、桜を見る会などにおける不自然なことは、全てが嘘と思われても仕方がないでしょうし、おそらく全てが嘘でしょう。安倍氏本人の嘘だけでなく、安倍氏に忖度して官僚たちがついた嘘も全て明らかにしなければなりません。国会議員は、安倍氏のような息をするように嘘がつける人間を首相にしたことを恥じるべきです。どうしてこんな人が首相にまでなれたのか、こんなことが二度と起こらないように、国会議員は全員が真剣に考え、行動を起こさなければなりません。
 国会の権威を失墜させた安倍氏は、即刻衆議院議員を辞め、政界から身を引くべきでしょう。

キノコ狩り、平茸のこと

 昨日、山に入って、キノコを少しですが採りました。今年は初雪もまだですし、霜の降りた寒い朝もないので、キノコが凍ることがなく、タイミングさえ良ければ質のいいキノコが採れます。

 ナメコが出ていました。

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 天然もののナメコは、このくらいの大きさのものがいいと思います。

 ムキタケも出ていました。

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 この大きさになるまで、2週間もかかりました。なかなか大きくなりません。

 これもムキタケです。

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 これはちょうどいい大きさです。

 ヒラタケも出ていました。

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 すこし小さいくらいですが、このくらいのものが一番おいしいようです。
 昨晩は妻がナメコ、ムキタケ、ヒラタケとクリタケを入れたけんちん汁にしてくれました。鍋に入れてもよく食べます。

 昨日、このところ読んでいた、『宇治拾遺物語』を読み終わりました。『宇治拾遺物語』には、第2段に「丹波の国篠村、平茸生ふる事」という平茸の話があります。
 これも今は昔、丹波の国篠村といふ所に、年ごろ、平茸やるかたもなく多かりけり。里村の者、これを取りて、人にも心ざし、またわれも食ひなどして、年ごろ過ぐるほどに、・・・
 ある夜、村人の夢に頭髪を少し伸ばした二、三十人ほどの法師が出てきて、篠村から他所に退出するので挨拶にきた、と話をします。村人には法師の言うことが、どういう意味なのかさっぱり分かりません。その年が暮れ、次の年の九、十月になります。いつもなら出るはずの平茸が全く出ません。平茸は「不浄説法する法師、平茸に生まる」(不浄の身で仏法を説くと平茸に生まれ変わる)ということで、不浄説法した法師の生まれ変わったものだった、という話です。
 どうして平茸に生まれ変わるのか、法師と平茸の関連性は全く分かりませんが、おかしな話の種として好まれたようです。

 『宇治拾遺物語』で、私が面白い(悲しい)と思った話は、第148段の「高忠の侍、歌詠む事」です。
 高忠のもとで、昼夜真面目に働いている侍がいました。雪の降る日に、その侍が粗末な服を身に着けているだけの裸のような姿で、寒さに震えながら掃除をしていました。それを見た高忠がどうしてそんな恰好をしているのか、その「裸なるよしを詠め」と言います。侍は、

 裸なるわが身にかかりる白雪はうちふるへども消えせざりけり

と詠みます。高忠はたいそうその歌をほめ、着ていた服を脱いで侍に与えます。北の方もかわいそうに思って服を与えます。
 その後、侍はいただいた服を着て寒さをしのいだとか、売って暖かい服に替えたというのならありきたりですが、その侍はそうはしません。侍はいただいた服を持って、貴い聖のもとに行き、身の不幸、年を追ひてまさる。この生のことは、益もなき身に候ふめり。(わが身の不幸は、年を追って増えていきます。この現生では役にも立たない身であるようです。)法師になりたいと思っていましたが、布施に差し上げるものがないので、今までお願いすることができませんでした。どうかこの布施を受け取って、私を法師にしてください、とお願いします。聖はとても感心して、侍を法師にします。その後、法師は「そこより、行く方もなくて、失せにけり。あり所も知らずなりにけるとか。

という話です。関心が湧いたらお読み下さい。