雪国・十日町から ちからのブログ

豪雪地に暮らす思いとその自然について綴ります

葛の花、鉄道草(ヒメムカシヨモギ)

 涼しくなってきました。少しひんやりした空気に包まれながら、ミンミンゼミのミーンミンミンミンミンミーーという鳴き声を聞いていると、時の流れ・季節の移ろいを感じます。今これを書いていると、ツクツクボウシが鳴きだしました。

 一昨日、山の集落に行ってきました。道に紫の花が散っているので、何かと思ったら葛の花でした。

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 葛の花といえば、思い浮かぶのが、釈迢空の次の和歌です。

  葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり

 寂しげでありながら、どこかナルシスティックで清らかな感じのする歌です。葛は道路の脇にどこにでもあるような植物ですが、葛の花は山道の繁茂する大きな葉の陰で、ひっそりと咲いている姿が一番似つかわしいように思います。 

  植物にも人にも、似つかわしい場所というものがあると感じます。例えば、十日町ではほとんど見かけませんが、夾竹桃です。私は40年以上前、大学生の時に歳時記で次の句を見つけました。(作者は分からなくなってしまいました。)

  鉄門に夾竹桃の静なり

 雪の関係もあって、十日町には鉄門(門扉)のあるような家は見かけません。田舎から出て大都会の大学に通っていた私は、新興住宅の鉄門・夾竹桃に都会を感じ、明るい時代の雰囲気を感じ取り、以来この句が忘れられなくなりました。夾竹桃は鉄門に似つかわしい、夾竹桃の持つ雰囲気と鉄門の持つ雰囲気がぴたりとマッチするのです。今、あの新興住宅はどうなっているのでしょう。

  夾竹桃裏門いつも閉ざされて          熊谷みどり

40数年たち時代の雰囲気がすっかり変わりました。夾竹桃は家の表から裏へと場所を替え、ひっそりと咲いているような気がします。


 ヒメムカシヨモギをご存知でしょうか。写真を見ればどなたも、「これか」と思い当たるでしょう。

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  ヒメムカシヨモギは明治時代に入ってきた帰化植物で、鉄道線路に沿って広がったため、鉄道草と言われたり、明治草と言われたりもします。我が家の畑にも生えます。畑に生えたのを、わざと取らずに成長させて撮ったのが、上の写真です。大荒地野菊というヒメムカシヨモギによく似た草があり、ヒメムカシヨモギと同定するのは、私のような素人にはそう簡単ではありません。花を咲かせ、花の形状でヒメムカシヨモギと判断しました。
 1・2本ではそうでもありませんが、まとまって生えている鉄道草の姿はどこか荒涼とした雰囲気を醸し出します。

  運河悲し鉄道草の花盛り          川端茅舎

 古びた運河(この運河は鉄道草との関係で古いものでなくては合いません)と鉄道草の荒涼としたイメージがぴったりとマッチします。鉄道草は「花盛り」ですが、鉄道草の花に目を止める人、鉄道草の花を美しいと見る人はまずいないでしょう。

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 鉄道草の花はこうして拡大してみると、きれいな花のようにも見えますが、実際の花の直径は3ミリほどなので、近づいて目を凝らして見なければ、白っぽいようなものが咲いていると見えるだけで、「花盛り」であっても決して華やかではなく、鉄道草の「花盛り」は一層荒涼感を増すばかりです。ですから運河沿いの空き地が、鉄道草に似つかわしい場所なのです。


 植物だけでなく、人にもふさわしい場所があると思います。国木田独歩に「忘れえぬ人々」という作品があります。主人公の大津が、多摩川の二子の渡をわたって少しばかり行った溝口という宿場にある亀屋という旅人宿で、秋山という同宿の男に忘れられない人々のことを話すという、ごく短い小説です。忘れられない人とは、その場の情景(夕暮れの阿蘇山の麓の村など)に一番ふさわしい、ぴったりと合う人のことです。親しい人のことではありません。名前も知らず、話したこともない人ですが、その情景と切っても切れない、その情景の中にすっぽりと納まる人のことです。だから一晩語り合った秋山ではなく、旅人宿・亀屋の主人が忘れえぬ人になります。三月の初め頃、前日に降った雪が残っている物寂し気な町の旅人宿・亀屋とその主人の雰囲気がぴったりとマッチして、忘れえぬ人となるのです。
 ロシアの画家・クラムスコイの作品に「忘れえぬ女(ひと)」という絵があります。「ロシアのモナリザ」と言われる名画です。トルストイの「アンナ・カレーニナ」のイメージに触発されて、クラムスコイが描いたともいわれますが、帝政ロシア末期のペテルブルグの街並みと女の睥睨しているとも、愁いを含んでいるともとれる美しい顔がマッチして、忘れえぬ女になったのではないかと思います。私は大学生の時、日本初公開の「忘れえぬ女」を見て感動した記憶があります。確かレーピンの「ヴォルガの船曳き」も一緒に公開されていたと思います。それ以来ロシアの絵が大好きになりました。

 いったい私という人間はどんな情景に似つかわしいのだろうか、そんなことを想像してもみます。