雪国・十日町から ちからのブログ

豪雪地に暮らす思いとその自然について綴ります

令和初の年頭に思う

 今年は極めて稀なほどの少雪です。

 今朝の様子です。

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 雪がほとんどありません。少雪は私にとってはありがたいばかりです。雪が降らないとどんなに気楽なことでしょうか。大雪なら、朝昼晩と一日に3回も除雪しなければならないこともあります。買い物に行っても、買い物をしている間に車に雪が積もり、帰るときにはその雪を下ろし、曇ったフロントガラスを拭くなどしなければ発車できません。道路も固まった雪で凸凹し、車はがたがたと音を立て、壊れるのではないかと思うこともあります。除雪を仕事にしている人もいるので、少雪だとお金が動かず、町に活気がなくなるという人もいますが、私にとって少雪は、ありがたいことばかりです。それでもさすがに”裏日本”です。一日中晴れていた日は、今年になってまだ一日もありません。

 ところで、私は3月まで町内の嘱託員(町内会長)なので、令和最初の賀詞交換会で、次のような内容の挨拶をしました。

 平成は30年続いたが、その間に少子高齢化、過疎化が進み、格差が広がり、自然災害が増えたように思う。そう考えると、令和の時代には近所同士が助け合っていくことが、より大切になるのではないだろうか。

 少子化、人口減が、田舎では恐ろしいほどのスピードで進行しています。私の住む十日町市の隣り・津南町は、人口が2万人を超えていた時もあったのに、現在は1万人を切っています。20年後には6500人になるという予想です。最も多い時の1/3以下になってしまいます。十日町市は周辺の町村(川西町、松代町松之山町、中里村)と合併したので、市の人口は約5万人で私の子供のころとほとんど変わりませんが、大幅に人が減っていることは確かです。
 子供もどんどん減り、私が卒業した中学校の生徒数は、私が在学していた頃の1/5くらいになっていて、統廃合が検討されています。
 私の知り合いの中にも、跡継ぎのいない家がたくさんあります。住民が高齢化し、令和の間に空き家が激増することでしょう。
 平成初頭のバブル崩壊を経て、個人間の格差だけでなく、都市部と地方の格差も広がりました。アベノミクスの恩恵は、私の住む十日町では全く感じられません。平成の30年間、地方経済はずっと低迷しています。1970年代の一億総中流社会はどこに行ってしまったのでしょう。
 令和が平成と同じく30年続くとすれば、その間に日本の田舎の衰退は、目を覆わんばかりの状況になってしまうにちがいありません。
 今のうちに何とかしなければならないのに、今の政府は何もしません。その無策・無能ぶりはあきれるばかりです。

 次の写真をご覧ください。

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 これは1月4日に撮った写真です。(1月4日には10~20㎝ほど雪がありました。)注目していただきたいのは、15基以上確認できる鉄塔の多さです。いつの間にか、故郷の山々は鉄塔だらけにされてしまいました。 ほとんどが首都圏に電気を送るためのもののようです。政府の目には田舎は映っていません。
 人が東京に集まると、もっと便利なようにと投資し、東京がより便利になればまた人がそこに集まる。東京オリンピックの狂騒は、田舎の衰退を加速させています。田舎はいつまでも東京に人材を送り出す、供給地であり続けることはできません。

 嶺々に鉄塔ばかりが増えてゆく過疎化の町の墓標の如し   (ちから)

 田舎の衰退は、日本という国に大きな混乱をもたらすことになっていくに違いないと、私は思っています。