雪国・十日町から ちからのブログ

豪雪地に暮らす思いとその自然について綴ります

来た、来たぁ~、雪が来た。

 昨日の午後から降り始めた雪で、今朝はどこもかしこもすっかり雪に覆われました。

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 南天の実も寒さに凍えています。

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 栗の木は、すくっと孤高な姿で立っています。

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 この冬は記録的な暖冬・少雪ですが、このままで終わるはずはないと思っていました。立春を過ぎてから降り出すとは。やはり妻有〔つまり:十日町地域のこと〕は雪国です。

 やはり来た降らずに終ふかと思ひしも妻有の雪は降るを忘れず  (ちから)

 確かにこの冬一番の降雪です。しかし今朝の雪は、たった25㎝くらいでした。例年に比べれば、たった25㎝なのです。「来た、来たぁ~、雪が来た。」と大げさに書きましたが、十日町の人にとっては大したことではありません。

 とは言っても、私の散歩道はこの積雪で歩けなくなりました。これまでは車でゴミ出しに行っていましたが、今朝からは車を止めるところがなくなって、歩いてのゴミ出しになりました。往復800歩、滑らないように足元に注意して、雪の降る中を歩きます。昨年大怪我をしたので、今年はゴム長に滑り止めのスパイクを付けています。もちろん朝の6時過ぎには、除雪をしました。このように、雪が降るととても不便です。

 雪が降ると、気がふさぎ込んでしまうことが、一番よくないことです。このどんよりとした薄暗い空の下では、家に閉じ込められたような気になります。心も体も、ずっしりと重くなってしまいます。
 今では道路は何時も除雪され、どこにも出かけられるようになりましたが、私の小さい頃は村(集落)の道路は春まで除雪されず、冬は孤立に近い状況でした。そこまで閉じ込められてしまうと、そこに不思議と暖かく仄かに明るい世界が生まれます。一旦入ったら、抜け出せなくなるような無性に懐かしい世界です。

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その世界が見事に描かれているのが、森敦の名作『月山』です。もう10年近く前になりますが、私は『月山』の舞台となった、湯殿山注連寺を訪ねました。注連寺はもちろん、森敦が一冬暮らした注連寺の庫裡も残っていましたが、注連寺のある七五三掛(しめかけ)の村はなくなっていました。世の中が余りに便利になり、せわしなくなって、もう雪に閉ざされた、不思議に暖かく仄かに明るい世界は小説の中にしか残っていないのかもしれません。名作『月山』が永遠に読み継がれてほしいと願っています。