雪国・十日町から ちからのブログ

豪雪地に暮らす思いとその自然について綴ります

冬の月とオリオン座

 

昨日の夜は、月が見えました。

 

f:id:chikaratookamati:20190115060742j:plain

昨日1月14日は、旧暦でいうと12月9日です。

徒然草の第十九段「折節の移りかはるこそ、ものごとにあはれなれ。」には、「すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。」とあります。廿日(はつか)ではなく、九日の月ですが本当に「心ぼそく(頼りなく寂しく)」感じらます。

私はこの第十九段「折節の移りかはるこそ」が、徒然草の中で一番好きな段です。

およそ700年前に生きた兼好の想いが、今を生きる私の想いと、不思議なほどに重なります。人を取り巻く環境は大きく変わり、それに伴って物事に対する考えが変化することはあっても、人間の本質は全く変わることはない。

「ひとり燈火のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。」(第十三段)古典を読むということは、作者と人間の本質について語り合い、共感することと言えるようです。

 

 オリオン座も見えました。

 

f:id:chikaratookamati:20190121214414j:plain


冬の星座と言うと、私はすぐにオリオン座を思い浮かべます。

実に形のいい星座で簡単に見つけられるし、ベテルギウスシリウスプロキオンとできれいな正三角形(冬の大三角形)を形作っているのを見るのも好きです。

盛唐の詩人・杜甫の詩「衛八処士に贈る」の冒頭に、

  人生相ひ見ざること

  動もすれば参と商との如し      (動も:ややも、参:しん)

とあります。この「参(しん)」はオリオン座の三つ星、「商(しょう)」はサソリ座のアンタレス。それぞれ冬と夏に見られるもので、同時には天空に見ることができないので、親しい者同士が遠く離れて会えないことの比喩です。

この杜甫の詩は、

  今夕復何の夕べぞ          (今夕:こんせき、復:また)

  此の灯燭の光を共にせんとは

  少壮能く幾時ぞ           (能く:よく、幾時:いくとき)

  鬢髪各已に蒼たり     (鬢髪:びんぱつ、各:おのおの、已に:すでに)

 と続きます。

私は昨年およそ30年ぶりで友人に会いました。友人と私は共に新採用で、同じ高校に赴任して知り合いました。その高校からそれぞれ別の高校に転勤し、それ以後は一度も会っていませんでした。私は定年まで勤めて退職し、5歳年下の友人も早期退職していて、再会した昨年には、二人とも教職を離れていました。

時の経つのは実にはやいものです。

まさに、少壮能く幾時ぞ、です。

 

雪国の冬にはなかなか星空が見られないのが、残念です。