雪国・十日町から ちからのブログ

豪雪地に暮らす思いとその自然について綴ります

抜釘(ばってい)手術

  抜釘手術をしてきました。8日の午後入院し、9日に抜釘手術、10日午後に退院。2泊3日の入院でした。

 抜釘手術とは、骨折治療のために体内に入れていた金属(ボルト・ワイヤーなど)を取り除く手術です。私の場合、膝の痛みがなかなか取れないのは、膝蓋骨を囲んでいたワイヤーが2か所切れていて、それが悪さをしているのが原因ではないかということで、まだ半年にもならないうちに抜釘手術をすることになりました。手術室に入って出てくるまで、麻酔の時間も含めて2時間以上かかりましたが、手術は無事成功しました。後は痛みが取れて普通に歩けるようになることを願うばかりです。
 前回は怪我の痛みばかり気になって、他の痛みは気になりませんでしたが、今回は動かなければ膝の痛みはないので、他の痛みが気になりました。麻酔の注射は前回は痛いという記憶がないほどでしたが、今回はかなり痛く、しかもまだ脊髄に痛みが残っています。再骨折が一番心配なので、当分の間はつまずいて転ばないように注意しなければと思っています。

 この3日間の収穫は、石平(せきへい)氏の『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』(PHP新書)を読めたことです。

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長年懐いていた疑問の多くに、この本は答えてくれました。それを端的に言うと、「『論語』という書物は聖典でもなければ経典でもなく、春秋時代の生きた孔子という知恵者が語る常識的な人生論、処世術であるということである。内容的にも体裁的にもそれは当然、後世に生まれた学説としての儒学とも、国家的イデオロギーとしての儒教とも、まったく異なっている」(P220)ということになります。「儒学は、戦国時代に生きた孟子という人が「性善説」に基づいて作り上げた学問の体系であるが、前漢の時代、中央集権制の国家権力とその頂点に立つ皇帝の地位が確立されると、孟子の流れを汲んだ儒学者たちは国家権力に奉仕する立場から、孔子の『論語』とは無関係のところで「天人相関説」や「性三品説」を生み出して、国家権力と皇帝の地位の正当化に貢献した。そしてそれとの引き換えに、国家的教学としての支配的地位を皇帝から与えられ、国家権力を支えるイデオロギーとしての儒教となった」(P220)という石平氏の考えが、これまでに読んだどの本の中で述べられていたことより一番腑に落ちます。これまで私は『論語』を読んでも、『論語』が儒教の「教」になぜ結びつくのか理解できませんでした。理解もせずに知ったかぶりをして授業で話していたことは恥ずかしいばかりです。「孔子儒教の祖」ということが頭に沁みついているので、「どうしてなのだろう、わからないなぁ」と思いながらそこから逃れることができませんでした。既にでき上がっている評価に惑わされていることが、私たちには往々にしてあると思います。その評価ができ上がってきた歴史を知らないとどうにもなりません。石平氏の本は私の蒙昧を打ち砕いてくれました。ありがたいことです。感謝感謝。

 石平氏ももちろん『論語』を評価しています。

  子曰、学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不慍、
  不亦君子乎。 (学而第一)

  子曰く、学びて時に之を習ふ、亦説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)遠方
  より来(きた)る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君
  子ならずや。

  「慍む」は上二段活用なので、「うらまず」ではなく「うらみず」と読む。中世初期から
   四段活用の例もみられるが、上二段のほうがずっと多い。四段が中心になるのは近世から。

 『論語』のこの冒頭の言葉は、そうだ、そのとおりと思うし、そうあればなぁと思い、またそうありたいと思います。「有朋自遠方来」は「朋有り遠方より来る」と読むこともできます。そう読んだ場合にはその朋とは以前からの知り合いであった感じがします。「朋遠方より来る有り」と読むと、遠方から訪ねてきた人と語り合って意気投合し、新たに朋となったというような感じがします。これはあくまでも私の感じ方です。私は「朋遠方より来る」と読みたいと思います。

 ふと『論語』の言葉が思い浮かぶことがあります。私も『論語』が大好きです。