家の前の田んぼの田植えが終わりました。
夜になると田んぼに張られた水面に、街灯や家の光が映る、この時期ならではの美しい光景が見られます。
もちろん、この光景に一層の趣を添えるのは、蛙の声です。この声をお聞かせできないのは残念です。
私がこの季節に、いつも思い浮かべるのは、齋藤茂吉のこの歌です。
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
この歌は茂吉の第一歌集『赤光』の中の連作「死にたまふ母」の中の1首です。「死にたまふ母」は全部で59首、4部構成になっています。
第1部 母の重篤の報を受けて東京を出立
第2部 生まれ故郷山形県上山市に帰り、母を看病し死を看取る
第3部 母を火葬
第4部 蔵王温泉で傷心をいやす
「死に近き」の歌は第2部の歌ですが、各部の歌を1首ずつ挙げると、
みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる (第1部)
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり (第2部)
星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり (第3部)
やま峡に日はとつぷりと暮れゆきて今は湯の香の深くただよふ (第4部)
どの歌もすばらしく、「死にたまふ母」は日本の代表的な挽歌といえると思います。茂吉の母・いく が亡くなったのは、大正2年(1913年)の今日5月23日です。
もうずいぶん昔になってしまいましたが、私は山形県上山市にある齋藤茂吉記念館を訪れたことがあります。「極楽」と名付けられたバケツが展示されていたことを記憶しています。茂吉は頻尿で、夜などトイレに行く代わりに、バケツを買ってきては、そこに用を足していましたが、そのバケツを「極楽」と呼んでいました。
こんな歌もあります。
この町に一夜ねむらばさ夜中に溲瓶とおもひバケツを買ひつ
【溲瓶:読みは「しゅびん」で、しびんのこと】
もう一度齋藤茂吉記念館を訪れ、山形をゆっくり旅してみたいものです。